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アセクシャルとは何か?性嫌悪ありと性嫌悪なしの違いなど書いてく

 みなさんこんにちは、なかたつです。
 
先日ブログにアップした記事が、色んな人に読まれています。ありがとうございます。
ただ、記事を公開した後も「アセクシャル」について色々と考えを巡らせています。
 
その中で、アセクシャルは「他者に性的欲求を抱かない」ことは、研究者の中でも定義がされてるみたいなんですけど、その「他者」の定義ってなんだろうか?と新たな疑問が生まれてきました。
 
というのも、3次元の人間には性的欲求を抱かないけど「2次元の異性」には性的欲求を抱く人や、異性に性的欲求は抱くけど「自分が性交する」となると嫌悪感が生まれる人の存在を知ったからです。
 
今回は自分なりの考えを記事にしました。もちろん「この記事が正しい!」というつもりもありませんし、正しいことはないと思っています。
 
それをご了承の上、お読み頂ければと思います。むしろ色んな意見を聞きたいので、何かしらのアクションを頂けたら嬉しいです。
 
ちなみに、下ネタも入っていますので性的な表現が苦手な方や18歳未満の方はお控えください。
 
 

アセクシャルの定義とは?

アセクシャルは「他者に対して性的欲求を抱かないこと」は、研究者の間でも定義づけされています。
 
その他の要素、例えば「付き合っている人がいる/いない」「性欲がある/ない」「一人でする/しない」「恋愛する/しない」「性嫌悪がある/ない」「性行為ができる/できない」「結婚したい/したくない」「子どもが欲しい/欲しくない」「性自認」などは関係がありません。
人によって考えや状態は異なるとしか言えませんし、正解などありません。
 
よく、ネットの記事などで「アセクシャルは恋愛感情がわからない人」とか「恋愛できない人」などと表現されていますが、ちょっと違います。
 
「恋愛と性愛がわからない人」ならしっくりくるんですけどね(正確ではないけれど)。アセクシャルは性的指向なので「性愛がわからない」というのがメインです。
 
「恋愛が分からない」「恋愛できない」のはアロマンティックという恋愛指向の話ですね。
 
まぁ、世の中が「付き合っているならHをするもの」みたいな風潮があるので、交錯するのは仕方がないのかもしれないですけどね。
 
ちなみに、他者に性的欲求は抱かないけど、恋愛感情を抱くという人を、欧米圏では「ロマンティック・アセクシャル」と呼び、日本では「非性愛者(ノンセクシャル)」と呼ばれています。
 
また、他者に性的欲求も恋愛感情も抱かない人は、欧米では「アロマンティック・アセクシャル」と呼び、日本では「無性愛者」と呼ばれています。
 

 「他者に対する性的欲求」とはそもそもなんなの?

僕自身は「他者に対する性的欲求」を今まで持ったことがないので、「あー、自分ってアセクシャルなんだ」と簡単に受け入れることができました。
 
しかし、「他者」とか「性的欲求」って、結構曖昧な表現だなと今になって思い始めました。
 
ここでは、少し整理して考えたいと思います。
 

「他者」とは何を指すのだろうか?

僕自身、女性も男性も性的な意味で好きになったことはありませんし、人間以外のものに性的魅力を感じたこともありません。
 
しかし、中には「3次元には興味がないけど、2次元のキャラクターには性的欲求を抱く」「想像の中では、他者に性的欲求を抱く」「物や動物に性的欲求を抱く」という人もいます。
 
そういった人は、「他者」の定義によっては、アセクシャルにもなり得ますし、アセクシャルに当てはまらない可能性もあり得ます。
 
やはりその狭間で悩んでいる人も多いみたいですね。
 
少し調べてみたんですが、「他者」というのは「自己以外の他のもの」を表現する哲学用語みたいです。
  • 他人=自分以外の他の人
  • 他者=自己以外の他のもの
 
ということ。
 
ただ、性的欲求を抱く対象がいたとしてもアセクシャルを名乗っても別にいいと思いますけどね。
 
セクシャリティなんていつでも変動するし、確立しているものでもないですし。日で違ったりする人もいるだろうし。
 
異性愛者には分からないと思うけど「自分がどこにも所属できない」というのは、かなりのストレスになります。
 
自分のアイデンティティが保たれるセクシャリティを名乗っておきましょう。自分がアセクシャルだと思えば、それは誰にも否定されるものではありません。
 

「性的欲求」と「性欲」の違いとは?

さて、次は「性的欲求」について考えましょう。
 
よくアセクシャルは「性欲がない」などと言われますが、僕はそんなことないです。「性欲自体」はあります。
 
しかし、誰かと性交したいという「性交欲」や、異性や同性などの他者によって性欲が発生したり、増幅させられたりしないため「他者に対して性的欲求」はないと思っています。
 
まぁ、そもそも「性欲」や「性的欲求」というのがとても曖昧な表現ですよね。
 
僕が考えるに
  • 性欲・・・射精欲、排泄欲、身体的な快楽欲
  • 性交欲・・・他者と性行為をしたい欲
  • 性的欲求・・・性欲と同義
 
だと感じています。
改めて考えたら「性欲」と「性的欲求」は同じ意味ですね。
そして、アセクシャルかどうかはその性欲を「他者に対して抱くかどうか」だと思います。
 
男の僕は、射精欲を感じることはあります(人より少ないと思うけど)。ただ、それは生理現象で尿や便が溜まったら出したい様に、それも溜まったら出したいと思う感じです。
  
身体的な快楽欲も考え方は同じで、「背中が痒い」と背中を掻くのは、「身体的な快楽」が得られるからです。
 
性器を触りたいのも、触ることによって「身体的な快楽」が伴うからです。一人Hをしたいと思っても、それだけでアセクシャルを否定することはできません。
 
ただ僕は、その欲を異性や同性やその他の者で解消したいかと訊かれたら「NO」と答えます。
 
そして、その「排泄欲」や「身体的な快楽を得たい欲」は「他者」が引き金となって発生しませんし、「他者」によって欲が増幅することもありません。
 
これが「他者に対して性的欲求を抱かない」という意味だと考えています。
 

「性嫌悪ありのアセクシャル」と「性嫌悪なしのアセクシャル」の違い

「他人とHができるならアセクシャルではありません。レズかバイです。アセクシャルを名乗らないでください。」
 
上記は、某提示板に書かれていたものです。
 
性嫌悪のないアセクシャルだと思われる女性が、「Hは苦じゃないけど積極的にしたいとも思わない。同じ様な人いない?」という質問に対してのレスです。
 
とりあえず的はずれなレスであることは間違いありません。性嫌悪がなく、性行為に応じられるアセクシャルも存在します。
 
まぁ、性嫌悪のないアセクシャルは少数派っぽい(数えた訳じゃないので正確ではない)ので、肩身は狭いですけどね。
 
ここでは、「性嫌悪のあるアセクシャル」と「性嫌悪のないアセクシャル」の違いを考えてみます。
 

「性嫌悪のアセクシャル」とは何か?

性嫌悪のアセクシャルは、「他者に性的欲求を抱かない」どころか、逆に性的嫌悪を感じる人のことです。
 
異性愛者や同性愛者などの「性的欲求を抱く対象がいる人」をプラスとすれば、性嫌悪はマイナスといったところでしょうか。
 
例えば、男性に対して性的嫌悪がある女性で
、その他の者に対しても性的欲求を抱かないのであれば「男性嫌悪のアセクシャル」ということになりますね。
 
後は、特定のセクシャリティ(異性や同性など)だけでなく、性的な話や表現等の「性」にまつわるものに嫌悪感を持つ人もいます。
 
しかし、「アセクシャルだから性に対して嫌悪感を抱く」というのは間違いです。
性嫌悪はアセクシャルを定義するものではないので、離して考えましょう。
 

「性嫌悪のアセクシャル」と「性行為嫌悪」の違い

 
性嫌悪の人の中には、「性的な話は好きだし、他者に性的な欲求を抱くけど、自分が性行為するとなると嫌悪感がある」と言う人もいます。
 
つまり、「性行為嫌悪」ということですね。この「性行為嫌悪」と「性嫌悪」って似てるようで結構違うと考えています。
 
「性嫌悪」は性的欲求を抱くどころか、嫌悪することを意味すると思うんですが、「性行為嫌悪」は、他者に対して性的欲求は感じていても「性行為」はやりたくないという場合も含まれます。
 
特に女性は、男性からの性的欲求の対象になりやすいので、性嫌悪を持っている人も多い気がします。
  
 

「性嫌悪のないアセクシャル」とは何か?

みなさんは、動物の交尾を見てどう思いますか?

 

 性的に興奮するのであれば、あなたは動物性愛者でしょう。 

 

ただ、ほとんどの人は「興味ない」と答えると思います。もちろん性的な意味でね(違う意味では自分も興味ある) 

 

でも、嫌悪感も別になくないですか?気持ち悪くて見てらんないとか、考えるだけでも嫌とかないですよね?

 

 そう。まさしく「性嫌悪のないアセクシャル」は、異性や同性が性行為している事に興味がない、つまり「性に無関心」なんです。

 

 なのでAVも動物の交尾も、全く同じ感情で見れます。

 

 異性愛者の男性の多くは、男性同士の絡みを見るのに嫌悪感を感じる人が多いと思いますが、僕は「女性と男性の絡みとどう違うん?」という感じで見てます(そもそも見ないけどね)。そこに嫌悪感もありません。 

 

ただ、それを人に言おうものなら「お前はゲイだ!」とか「お前はバイだ!」とか言われます。たぶん、性嫌悪のないアセクシャルは誰もが通る道。

 

 異性愛者=同性に嫌悪がある人のことなの? 

なんで女性に興味がなければゲイ、男性に性的な嫌悪がなければゲイになるんだろうか?といつも不思議に思っています。 定義としては、

  • 異性愛者=「異性に性的欲求を抱く」
  • 同性愛者=「同性に性的欲求を抱く」

なので、異性に興味なくても同性愛者にはならないし、同性に性的嫌悪がなくても同性愛者にはなりません。
まぁ、異性愛者は「異性に性的欲求を抱き」かつ「同性に性的嫌悪」を持つ人が大多数なので(特に男性)、これに当てはまらない=異性愛者ではない=じゃあ同性愛者だ!となる理屈は、なんとなくわかるけども。 

 

 「性嫌悪のあるアセクシャル」と「性嫌悪なしのアセクシャル」の違いまとめ

 さて、二つの違いってなんだろうか、まとめていきましょう。
 
結局のところ、「性嫌悪のアセクシャル」と「性嫌悪のないアセクシャル」は、似てるようで全く違います。
 
図で表すとこんな感じかな?

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 有性愛者をプラスとすれば、性嫌悪なしのアセクシャルはゼロ(中立)で、性嫌悪ありのアセクシャルはマイナスですね。
 
どちらのアセクシャルも、性的欲求のベクトルがどこにも向かないのは共通していますが、性嫌悪なしのアセクシャルは、そもそもベクトルが存在しません。
性嫌悪ありのアセクシャルは、有性愛者の反対側にベクトルが向きます。
 
これが、両者の違いでしょうね。
 

おわりに

 冒頭にも言いましたが、この記事が正しいということはありませ。正しいものなんてないと思いますが、ここまで書いてきた内容が、僕が思っていることです。
 
もちろん、みなさんの考えもあると思うので、「私こう思ってる!」という意見があったらお聞かせください!
 
ここまで読んで頂いてありがとうございました!
 
以上!